城へ帰って2日。
近衛騎士団詰め所にはいつも以上に真剣な空気が漂っていた。
そんな中。
彼女は精霊使いなのだろうか?
ふと乾は聞きそびれてしまったこと思い出し、自問する。
そして、すぐさま否定する。
それはないか。
精霊使いは契約に莫大な魔力を契約している間、恒常的に必要とする。
魔術はそれを司る言葉さえ唱えられれば誰でも使えるものであるから、魔術師が精霊使い、
正確に言えば精霊使いが魔術師であることは稀にある。
現に精霊使いたる不二が簡単な魔術ならば使用しているところを、乾も幾度となく目にしている。
しかし、魔術を使うのも精霊を使役するのも、違いなく魔力を必要とする。
精霊使いはその魔力を精霊に奪われているといっても良いいため、大きな魔術は使えことが多いのだ。
そして、件の彼女は乾の目の前で、空間から地図を取り出した。呪文もなしに、である。
呪文の省略は呪文を唱えるよりも僅かに多い魔力と、高い魔術的な技能を必要とする。
そんな魔術を扱う高位の魔術師である彼女が、同時に精霊使いであるとは考えにくかった。
或いは、不二と精霊についての話が弾んでいたことから考えて、海堂のように精霊を見ることのできる人間か、
精霊と契約は結ばずともやろうと思えば使役することはできる人間なのかもしれない、
そう、乾は結論付けた。
今ある情報は彼女がもたらしたものだけだった。
普通で考えれば、素性のしれない一度しか会っていない魔術師の言葉を信じるというのは愚行である。
彼女に更なる疑いをかけ、あの森を再度調査しても良い。
だが、今思い出しても夢のようなあの家と、何よりそこで出会った彼女の言葉には、
人を信じさせ、動かす「力」があった。
そう、いつもは慎重である彼さえも。
城へ帰った手塚は、すぐさま待機していた大石と菊丸に
に示された一帯の調査を、
不二と海堂に再びその辺りを重点的に精霊に尋ねるように命じた。
4人は素早く動き、優秀な彼らのこと、翌日にはすべての資料が出揃っていた。
「よく調べてみると、そのあたりに精霊は少ないね。」
「精霊に話を聞いても、その一帯には行ったことがない、と話すばかりで、その一帯から帰ってきた精霊はみつからなかったっす。」
不二が一同の口火を切り、海堂が続く。
二人の調査は精霊を遣わせたり直接精霊と対話をすることによるものである。
精霊との対話の間は精霊と関連のない人間を同じ部屋に入れないことが多いため、
即時の報告は口頭のみとなることが多い。
そのため、不二は論理立てて一帯の精霊の様子がおかしいことを伝える。
いくつかの質問を交え、全員がおよそ状況を把握した後に報告を続けたのは、実地調査をしてきた二人だった。
「こちらの調査で、そのあたりで魔術師がいるとわかったのは、数軒。」
「その中で、一人、怪しい奴がいるにゃ!」
冷静な大石と、やや興奮した面持ちの菊丸が、それでも息の合った報告を代わる代わるしていく。
「『俺は莫大な力を手にした!!』と飲み屋で魔術師仲間に自慢げに話していたらしいが、
その内容は『今は話せない。しかしいつかお前らも私に頭を垂れるのだ!』と言うのみ。」
「俺たちが身分を隠して会いに行っても、扉を開けてもくれなかったし、でも確かに変な魔術の気配はしたんだにゃ〜」
最後の台詞には、確信が持てないためかやや首をかしげながら言う菊丸。
大石はそんな菊丸の様子に苦笑いしながら、聞いてきた魔術師の風貌などをまとめた紙を手塚に差し出す。
手塚がその報告を読み出すと、乾は自分の持っていた大量の資料から、一人の履歴書のようなものを出し、一人ずつに配る。
「見てもらえばわかるけど、一度王立魔術師団に属したが、危険な思想を持っていたために、追放となった者がいる。」
この場でそれが何を意味するのか。
一同を代表して、不二が確認する。
「この魔術師と、大石とエージが話した魔術師が一致するんだね。」
頷く乾。
全員の視線が紙から、この場の判断を下す者、手塚と大石に視線を集める。
「手塚、どうする?」
大石も頷きながら、手塚の意見を伺う。
副隊長であり、日ごろ慎重である大石にも異存のないことを表していた。
沈黙の後、手塚の怜悧な表情に、強い決意の力が漲る。
このような状況下、彼らが動かないはずがなかった。
「行くぞ。」
コンコン、とリズミカルな音が響く。
扉を叩く菊丸は耳をそばだてて中を伺うが、中で物音がする様子はない。
今この場にいるのは、昨日詰め所で話をしていた手塚、大石、乾、不二、菊丸、海堂の6人だった。
当然のごとくリョーマ、桃城、河村は自分もついていくと主張した。
しかし河村は手塚の説得に負け。
リョーマと桃城は森に出かける前、出した課題がまだ終わっていなかったことが手塚の逆鱗に触れ、
相談役の竜崎夫人の監視の下、課題が終わるまで部屋に缶詰である。
同様に菊丸も課題が終わっていなかったようだが、先日先見したことと大石の口添えで、
帰ったらすぐにこなすことを約束に今回のメンバーに加わった。
手塚と大石としては、何かあった時のために乾を城に残すつもりであった。
が。
先回りしたように乾が緑色の不思議な液体をちらつかせるものだから、何も言うことなく乾のメンバー入りが決定した。
根気強く扉を叩き続ける。
昼だというのに通りは人気もなく、ひっそりとしている。
辺りの建物に人の気配がないわけではないが、だからといってすべての部屋が埋まっている様子もなく、
空き家や空き部屋が多いことが予測され、もの悲しい雰囲気を醸し出していた。
−−それはつまり、何かを隠して行うにも都合の良いわけで。
昨日は確かに家にいて、大石や菊丸が扉ごしに会話をしたわけである。
念のため予め付近の住民に話を聞いたところ、外に出た様子はないので、今日も家にいる可能性が高かった。
暫く扉を叩き続ける音だけが人気のない通りに響き、さすがに菊丸も諦めて手塚に判断を仰ごうと振り返った瞬間。
それは、突然来た。
波と集約。
不二を中心に今まで感じたことのない魔力の波動が全員に伝わる。
「−−−−−−−−っ!」
声にならない悲鳴を上げ、がくりと膝を着く不二。
その尋常ならぬ様子を見て大石は何かの攻撃かとあたりを見回し、近くにいた手塚といち早く気づいた菊丸が駆け寄る。
膝をつく不二はまだまともに口をきける状態ではなく、横で騒ぐ菊丸の言葉にもただ荒い息を繰り返すだけである。
精霊関連と判断した乾は海堂に伺うが海堂は困惑したように首を横に振るが、突然何かに気づいたように、
大きく目を開き、不二に駆け寄る。
「不二、不二、しっかりするにゃ!」
「不二先輩…!」
「海堂、何かわかったのか?」
同じように顔色を失くし、不二に話しかける海堂を見て、手塚が冷静に声をかける。
「たぶん、不二先輩の精霊が…」
言いかけた海堂を制し、やっと息の整った不二がそれでも普段の彼では考えられような
困惑した表情と切羽詰った口調で伝えた。
「僕の地の精霊が、奪われた…!」
契約状態に入っている精霊が自らの意思で、しかも契約者に無断で離れるということはない。
契約が切れるのは、精霊使いが契約を破棄したとき、続けるだけの力を失ったとき、精霊が消滅したとき、である。
たしかに、契約状態にある精霊をより高位の精霊使いが一時的に使役することは不可能ではないが、
現在それをできるだけの精霊使いはごく僅かであり、
また、それが行われるときは契約主である精霊使いが感知することができるため、
突然契約下の精霊がいなくなるということは、人間にはわかりえない事情があるか、
奪われたときだけだった。
「地下だ!地下に引き込まれた気配がした!」
「でも今は逆に何の魔力の気配もないにゃ…?」
精霊を目的なく集めることは自然状態を脅かす危険があるため、国の機関に登録するか王の承認を得なくてはならない。
それを得ずに精霊を集めると、場合によっては国家反逆罪に問われることもある。
つまり、ここの地下で行われていることは違法、それも飛び切りの、に近い可能性がある。
そのような場合、近衛には強制捜査をする権利がある。
「大石、乾、踏み込む!扉を破壊してもいい!」
それを一瞬のうちにそれを判断した手塚は、迷うことなく乾に扉を破るように指示を飛ばし、自分も駆け寄る。
乾は長い足で扉を蹴り倒そうとするが、扉には魔術による鍵がかかっているらしくびくともしない。
それを瞬時に理解した大石は口の中で素早く開錠の呪文を唱え、扉に触れると、扉は静かに中へと開いていく。
人の気配がないことを確認すると、大石は菊丸と海堂を呼び、中へと消えていく。
「不二、行けそうか?」
「大丈夫、時間をとらせたね。」
やや顔色は悪いものの、手塚の問いにいつも通りの調子で答えた不二は、手塚と共に、
扉のところで待っていた乾と合流し、部屋に駆け込んでいった。
中は薄暗く、部屋の中央にテーブルと椅子、奥にキッチン、二階に続く階段、
と一見なんの変哲もない住居にしか見えないが、明らかに普通の住居と違うところがあった。
菊丸が覗き込み、大石が板を持つ床の下には、
黒い入り口がぽっかりと穴を開けていた。
「これは…。」
誰ともなく声が上がる。
そこに広がる光景は、ある意味美しく、しかし異様だった。
部屋の大きさ自体はさしたるほどではないが、かなり階段を降りた地下三階にもあたるか、
という深さのその部屋は広い吹き抜けとなっており、天井が高い。
四方はむき出し岩の壁に囲まれ、何かの術式だろうか随所に古代魔術文字らしきものが見える。
そして、部屋の正面に、それはあった。
それは4つの天井まで届くかという細く、高い光り輝く筒状のものだった。
中では光が流動し、正面から見れば、美しいオブジェのようにみえなくもない。
しかし、流動する光の中には、時折、苦悶の表情を浮かべた半透明の人の顔のようなものが見え、
それが浮かんでは消え。浮かんでは消え。
儚くも異様な光景を彩っていた。
「何の御用かな、私は入室を許可した覚えなどないが。」
光り輝く4つの筒の前に立つ男がこちらに向き直り、余裕たっぷりに呆気にとられている近衛騎士団に声をかける。
男は中年で痩身、いかにも魔術師らしい黒いローブを羽織っていた。
それ以外大して特徴のある出で立ちでもないが、ぎらぎらと欲望に光る目が、常軌を逸していることを伝えていた。
「どこのだれだか知らないが、不法侵入だ。訴えられたくなかったらさっさと出て行ってもらおうか。」
男は馬鹿にしたような口調で6人に告げる。
常軌を逸した目と光る筒に大石や海堂は気おされ気味だったが、
冷静に手塚が近衛騎士団の証である剣に彫られた紋章を見せながら、一歩進む。
「王室近衛騎士団第二隊隊長、手塚だ。ここで行われていることは国家反逆の危険性がある。」
「無許可で精霊を集めてはいけない。かつて魔術師団にいたことのあるあなたが知らないはずはありませんね。」
続けざま乾が鋭い視線を送りながら詰問するように言うが、それでも男が余裕の姿勢を崩すことはなかった。
「精霊?精霊がどこにいるというのだね?」
「そこに、あなたの後ろ、その筒の中に。」
答えたのは不二だった。
蒼白な顔色と抑えた表情からは、何の感情も読み取ることが出来ない。
「おや、これは魔術の研究で作っているものであって」
「僕は、精霊使いです。」
語る男の台詞を、不二の静かな、しかし力を持った声が遮る。
その言葉を呪文に、不二は自らの風の精霊を出現させた。
精霊の姿を精霊力のない人間に見せることは、位の高い術士にしか出来ることではなく、精霊も姿を見せることをあまり好まない。
そのため男は、たとえ近衛であっても具現化した精霊の姿は見たことがない、
魔術の実験だとでも言って、言い逃れが出来ると思ったのだろう。
しかし、幼い頃から近衛所属の精霊使いとして青学で仲間と共に学んできた不二は、
その求めに応じて自分の精霊を仲間に見せることがあり、不二の精霊もそれを承知していた。
その彼らが、筒の中身をわからないはずがないのだ。
「ほぅ、精霊使いがいるのか。」
不二の行動の意味を悟った男は、唇を歪ませて笑う。
「では仕方ない、聡明な近衛騎士団はここで始末させてもらうとしよう!」
男は狂気の笑みを一層強くし、杖を構えて叫ぶ。
「…王家の名の下、法を犯すものは許さん!」
手塚の力ある言葉に、5人はそれぞれの構えを取る。
光り輝く精霊の前で、男たちの戦いが始まった。
続