どんなに時が経とうとも、忘れられない記憶というものがある。

否、忘れたくないからそう思い込んでいるのかもしれない。

人の記憶には限界がある。

忘れないと願っても、その風景は、いつか色褪せ、部分のみとなる。

それでも、人は覚えていると自らに言い聞かせ、記憶であると思い込む。

それは、憧憬だ。





それでも。

彼女には忘れられない記憶があった。

風景と言い換えても良いかもしれない。

目を閉じれば浮かんでくる、彼女の終わりであり始まりである場所。

褪せることのない、どこまでも青い世界を。

























空の涯て 水の中    の記憶



























水の中から浮き上がるように、ぼんやりとした光を感じ、は目を覚ました。

目覚めの瞬間というものはどうにも曖昧で、どのような周囲の出来事が、脳を覚醒へと促したのかわからない場合が多い。

しかし、今回に限りには覚醒の原因がすっかりわかっていた。

確かに呼ばれたのだ。

水の中から彼女を引き上げるような、力強い声で。



目を覚ますと、そこは知らない場所だった。

ただ知らないというだけではなく、の知るどの風景とも似ても似つかない、不思議な場所だった。

目に映るものはすべて、どこか青いような、白いような、霧がかかっているようにぼんやりとしている。

目の前には鬱蒼とした森が生い茂り、その先は窺うことが出来ない。

後ろを見ると同じような状況で、ただ、僅かに霧が濃いように感じるだけだった。

自分が眠っていたのは、東屋のような感じで、白っぽい透明な四方の柱に同じく透明な屋根がついている。

ガラスのような屋根を通して見えるのは青空ではなく、優しいミルク色が一面を埋め尽くしており、それがこの空間の現実感の無さをより強固なものとしていた。

太陽は見えない、霧が多い、という状況ではあるが、空が明るいからだろうか、よく見ると霧自体が発光しているように

見えるからだろうか、決して暗くはなく、寧ろ心地よい明るさと温度だ。

寝かされていたベットはやはり透明な骨組みでできており、清潔そうなシーツが引かれている。

音は何もなく、周囲の色と相まってやや寂莫とした感はあるが、決して不快な静寂ではなかった。



そう、そこは決して不快でも危険を感じるところでもなかったのだ。






どうも頭の中がぼんやりとしている。

身体を起こし、とりあえずベットから降りようと腰掛けるような姿勢になったとき、は突如として強い頭痛に襲われた。

そして、頭痛が治まっても圧倒的な倦怠感を感じ、彼女はベットから降りることなく、そのままの姿勢で静かに思考を巡らせた。

何故自分はここにいるのだろう。そもそもここはどこなのだろうか。

意識を失う最後の記憶を手繰り寄せてみる。

いつもなら嫌というほど鮮明な記憶たちは今、この空間のように、霧がかっているようではっきりしない。

それでもは諦めることなく考え続けた。

ここへ来る前の記憶。

あれは、確かーーー。













「気がついたか。」

はっ、とした。

その距離まで人が近づいているなど全く気づかなかったのだ。

のすぐ正面、東屋の屋根の下にいたのは、一人の男だった。

見覚えの無い青年の登場に、はその青年をまじまじと見つめてしまった。

年のころはと同じくらいであろうか、すっきりとした肢体に色素の薄い髪と整った顔立ち、そして何よりも印象的な青い瞳を持っていた。

その青い瞳がまっすぐにに向けられている。

瞳は何かを強く訴えているのに、無表情に近い顔からは何も読み取ることができない。

突如として現れた美しい青年に、未だ胡乱な思考のは平素の彼女では考えられないくらい動揺し、慌ててベットから立ち上がって礼をしようとするが。

くらりと視界が揺れ、ベットとは違う方向に身体が傾く。

倒れる、とどこか他人事のように思っていたの身体を受け止めたのはいつの間に更に近づいたのか

正面にいたはずの彼の腕で、彼はごく自然な動作でを支える。

そのままゆっくりとをベットの端に座らせたあと、やや屈むようにして目線をあわせた。

「無理すんじゃねぇ、そのままでいい。」

言葉は不遜であるのに、その口調に含まれた優しさに気づいたは、大人しく彼の言葉に甘え、少し微笑んで頷く。

その微笑に青年も少し口の端に笑みを浮かべ、支えていた手を上方に進め、の髪へと伸ばした。


気持ちいい。


ゆっくりと触れられる心地よさと、青年の優しい笑みに、何か心が暖かくなるのを感じた。

誰かと触れ合うことで、じんわりと心の中から暖かくなること。


ずっと、忘れていた感触。


懐かしいようなくすぐったいような何かがこみ上げてきて、泣きたくなるような気持ちを抑え、は幾分か冷静になって青年に尋ねた。


「あの、どうして私はここで寝ていたのでしょうか?」

自ら、そして周囲を含めた状況が全くわからない今、聞かなくてはいけないことは山ほどあった。

自分を混乱させる因子の一つである青年が危害を与えるようなら問題だが、そうではないようなので、とりあえず、自らの置かれた状況について尋ねてみようと思ったのだ。

青年からは敵意が感じられない。寧ろ、感じるものは。




「何があったのか、覚えていないのか?」

ゆっくりと、やや不安げな色を滲ませて青年が口を開いた。

何かを知っているような青年の口ぶりに、その整った顔を見返しながら青年の言葉を反芻していると。

突然、青年の言葉を合図にしたように、今まで思い出せなかった記憶が蘇ってくる。


今日は、いつものように王宮へ出仕し、一人で新たな魔術の構成を組み立てて。

それが一段楽したところで一息ついていると中将の部下の顔見知りの大尉が来ていつもとは違う部屋に呼ばれて…。

来て、それから。



それから、何が起こった?





信じられない通告。

信じたくない心。

叫ぶ男たち。

多大な圧力。

必死の形相。

吹きすさぶ風。

溢れ出す魔力。

血を流す男。

地に伏す男。

破壊される部屋。

破壊された境界。

光の洪水。

崩壊の音。






   セ  カ  イ  ガ




   コ  ワ  レ  ル










?」

突然己が手で顔を覆ったを、青年が心配そうに窺っていることが気配でわかる。

しかしは顔をあげることもなく、愕然とした気持ちを隠すことないまま

一つの結論に至った。















そうだ、私は。




殺されたのだ。




























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