「けいご…いやぁ。」

「……。」

自分の名を呼びながら、そこに自分の存在を認めていない彼女。

跡部はすべてをわかっていながらも、若干の悲しさを隠しきれないでいた。















  枕に埋めた額















が風邪を引いた。

永続に近い寿命を持っているであろうであっても、怪我はするし病気にもなる。

大抵のことなら自らの魔術で治療してしまうだが、高熱を発してしまっては、自分ではどうすることもできなかった。

風邪が高熱に悪化してからというもの、は部屋に引きこもり、そっと運ばれる食事にも殆ど手をつけていない。

薬など以ての外だ。

部屋には誰も立ち入ることを許さないし、どちらかがいない時以外は一緒に眠りにつく跡部ですら、食事を運ぶときにドアを開けるだけで、ベットに近づくことが出来ないままでいた。



ドアにはが無意識に張ったであろう結界がある。

結界は、一切のものを受け付けない。

跡部以外の。

しかし、跡部ですら入るときに抵抗がないわけではない。拒まれてはいるのだ。

それが、の今の心を表しているようで。

だから跡部は、無理やりに入ることをしなかった。


のこと、一週間や二週間食事を取らなかったことで命に関わることはないだろう。

それを頭では理解していても、心配することを止めることはできないのだ。

部屋に入ることの出来ない他の面々の心配振りといったら、一言では言い表せない。

が部屋に引きこもってから一週間、ついに跡部が部屋に足を踏み入れた。













部屋に明かりはなく、月の光だけがぼんやりとベットを照らしている。

薄暗い部屋で、は枕に額を埋めて眠っているようだった。

否、苦しげな呼吸と、跡部が部屋に入ってきたときに僅かな反応があったことから、まだ意識がこちらにあることがわかる。

殆ど眠ってもいないのだろう。

枕と乱れた髪の間から覗く顔色は、青を通り越して、白い。





跡部は静かにベットの端に腰掛けると、の乱れた髪を梳きながら、静かに呼びかける。

。」

反応はない。押し殺したような呼吸をする音だけが聞こえる。

。」

「……。」

無言で額を更に押し付けるに、跡部は重症であることを悟る。

は、今、自分を含めたこの世界を否定している。

それは初めてのことではないが、今回は熱も相まって余計に悪循環を引き起こし易くなっているのだろう。


そこまで悟った跡部は仕方なく、の身体に手を伸ばし、力任せに抱き起こす。

熱にうなされ、ぐったりとしたは、それでも再び枕に戻ろうとする。

その身体を出来るだけ優しく押し留め、跡部は声をかける。


、いい加減水だけでも取れ。」

「やぁ…やだ…。」

そういって、ひたすらに首を横に振る。

跡部は諦めることなく続ける。

「お願いだから薬を飲んでくれ。な。」

「やだ、やだ…。」

「一口でいいから。」


跡部の腕の中で、いやいやをするように、その腕から逃れようとする

その力は弱く、小さな子供が駄々をこねているようだ。

普段ならそんな動作も可愛いものとして映っただろう。

しかし。

ふざけているのでない。

本気で嫌がっているのだ。

跡部の存在を。

そして、『薬』というものを。


それは何故か。

すべてをわかっているだけに、強く出られない自分がいる。

それでも、この存在を守ってやりたいと思う。


跡部は軽くため息をつきながら、もがくを拘束したまま名を呼び続ける。

…。」


尚も弱弱しく抵抗するをその腕に収めたまま、跡部はベットサイドに置いたグラスを手に取り、

一口口に含むと、下を向くの頭を抱え込み、唇を合わせる。

「けいご…いやぁ。」

「……。」

は弱いながらも必死に逃れようとするが、跡部はその抵抗も封じ込み、それでもなるべく怖がらせないように、空いた手で髪、背中、身体全体を緩やかに撫で続ける。



少しでも、が怯えないように。



「んっ…けい…。」

「……。」

呼吸がままならず、空いた口にするりと舌を滑らし、そのまま絡める。

ゆっくりと。

が癒されるように。

何度も口付けの間に名を呼び続ける。



こくり、との喉が鳴り、薬を嚥下したことを悟っても、跡部の口付けは続く。

こんなにそばにいるのに、触れ合ってもいるのに、は自分を見ていない。

その事実が、なんとも歯がゆい。


やがて長い口付けが終わり、は息を切らして跡部の胸にもたれかかり、そのまま動かない。

暫くは、お互いの少し乱れた呼吸音だけが、部屋に響く。

は、もう自分を抱きしめる跡部の腕に、抵抗しなかった。

そして跡部の胸に額を埋めたまま、そっと意識を手放した。





頬に残る涙の跡を丁寧に拭い、安らかな寝息を立てているの顔を見て、跡部は少しほっとする。

自分の胸を枕にする頭と、服を掴んだままの手を、少し、嬉しく思う。


このまま、何も思い出さずいつもの朝を迎えればいい。


眠りに着いたの身体を抱え、跡部は同じベットに横たわり、静かにその顔を見下ろす。

跡部の不器用な手は、決しての身体を離すことがなかった。







ずっと、こうして穏やかなときが続けばいい。

ずっと、自分はこうして側にいる。





だから




この思いが少しでも彼女に伝わればいい。





そう、月に祈って跡部は瞳を閉じた。
















<手を伸ばしたくなる20題> 08 枕に埋めた額   完






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