「あの、景吾、そろそろ離して欲しいんだけど…。」
「……。」
困った。
つまずいた身体
事の起こりは千石君が遊びに来たこと。
自由を重んじる、と自称する彼は、よくうちに遊びに来る。
今日もお仕事はいいの?と聞いたら南がやってるから俺はやることないよ〜と返されてしまった。
千石君の力なら、そんなことはないと思うんだけどなぁ。
ため息つきながら、千石君の分も仕事する南君が容易に想像できて、私は心の中でごめんね、と呟いた。
ここでつい千石君にお茶を出してしまう私もきっと同罪。
千石君が来るときは、何故か景吾たちのいないときが多い。
ひょっとして仲が悪いのかな、と思ったときもあったけれど、彼らの様子を見る限り、そういうわけでもなさそうだ。
折角だからみんながいるときに来て、ここで仲良くしていけばいいのに、と言ったら、
「ちゃん一人の方がいいから!」
などと言われてしまった。
精霊同士、話したいこともあるだろうに。
全く謎だ。
そして今日も千石君と二人でお茶をして、千石君の話に相槌を打つ。
千石君の話は話題が豊富で尽きることがない。
お騒がせとして認識されている彼だけれど、二人でこうしているときはまったりとした雰囲気が漂うことが多い。
意外に思われることも多いが、千石君の距離のとり方は、つかず離れずで丁度いい測り方だ。
彼は、案外大人だと思う。
−−−景吾たちがいないときに限って。
そんな千石君も今日はやたらテンションが高い。
「ちゃん、いい加減「清純」って呼んでよ〜。」
「千石君、じゃだめ?」
「ちゃんに呼ばれるのは嬉しいんだけど、どうせなら清純って呼んで欲しいんだ。二人だけのときでもいいからさ。ね?」
いつもいつもそう言うんだけど、以前二人のとき「キヨ」と呼んだら、どこから聞きつけたのか、景吾が
「あいつを変に呼ぶんじゃねぇ。千石で十分だ。」と言って頑として譲らず、
何でそんなに怒っているの?と聞いたら、
無言で千石君のところに乗り込みそうな雰囲気を感じたから、仕方なく千石君、で統一した。
そんなことを言うわけにもいかず、曖昧に流す私。流す理由はもう一つある。
私たち人間にとってもそうだけれど、彼らにとってはその比でなく「名」は大切なものだ。
特に、私のような人間に名を呼ばれることは一種の拘束を生みかねない。
だからこそお互い呼び名には気をつけるのだけれど…
キヨ、と私が口にしたときには強い魔力が満ちるのを感じたから、たぶん、キヨスミで当りなのだろう。
それがわからない千石君ではないはず。
それなのに、何故?
いつもならここでこの話題は終わるのだけれど、今日はそうではなかった。
彼は、今まででは見たことのなかった不思議な笑みを浮かべて、そうだね、と続けた。
日が差して、彼の表情が良く見えない。
「俺はね、ちゃんとそういうことになってもいいと思っている。」
「え…?」
彼は何を言っているのだろう?
「、俺は本気だよ。」
いつの間に近づいたのか、笑いながらも真剣な雰囲気をもって千石君は言う。
その表情と言われたことに戸惑っている私の手をとり、一気に引き寄せようとする。
突然のことに、思いがけない強い力で椅子から浮かされる私。
引っ張られてつまずいた身体は。
何故か景吾の腕に収まった。
「千石、てめぇで呼び出しといてその隙にに近づこうとはいい度胸してるじゃねぇか…。」
頭を抱きこまれるようにして景吾の胸に顔があるから、二人がどんな表情をしているかよくわからない。
ただ、千石君はあの透明な笑みを浮かべているだろうと思った。
一瞬の緊張。
景吾の腕の中にまで緊張した空気がよくわかる。どうしよう…。
しかしそれは、千石君の、いつもの明るい彼の声で破られた。
「うわっ、跡部君早いなー。もう帰ってきちゃったの?」
「うっせぇ、さっさと帰れ。」
「酷いなー、俺だってもっとちゃんと話したいのに。」
「はお前と話すことなんかねぇよ。」
そんなことないよ!という抗議の声は、押し付けられた景吾の胸でくぐもってきっと聞こえない。
むーむーと頑張るけれど、景吾の手を押し退けられそうもない。
だから、魔術でも使っちゃおうかな、などと真剣に考えている私の耳には、景吾の台詞は聞こえなかった。
「は、お前の名を呼ぶ必要もねぇんだよ。」
俺がいるからな。
その言葉が聞こえなかった私は、その後二人がどんな意味あいをもって視線を交わしたのか知らない。
景吾が、どんなに静かな表情であの台詞を口にしたのか。
千石君が、どんなに優しそうな、寂しそうな笑みを浮かべていたか、知ることはなかった。
やっと景吾の腕の隙間から見えたのは、明るく手を振りながら姿を消す半透明の千石君だった。
千石君が帰るとすぐに、私は景吾に抱えあげられて自室に連れ込まれた。
先ほどから黙ったままの景吾に戸惑うけれど、ベットに丁寧すぎるほど丁寧に下ろしてくれるのはいつもと変わらなかった。
それからというもの、ベットの上で後ろから抱き込まれたまま、私は動くことが出来ない。
「あの、景吾、そろそろ離して欲しいんだけど…。」
「……。」
景吾とこうしているのが嫌なわけじゃない。
肉の身体を手に入れてからというもの、なんだか私に触りたがる景吾に慣れてしまったというか
気がつけばいつの間にか慣れさせられてしまった。
しかし今日は、こうして幾ばかりかの時間が過ぎ去り、それでもまったく動けないことに困惑してしまう。
景吾がどうしてこんな状態なのかわからないから、余計に困る。
「景吾…。」
何度目かの呼びかけで、景吾は腕を緩めてくれ、ようやく景吾の顔を仰ぎ見ることができた。
そういえば初めて今日景吾の顔を見たな、と関係ないことを考えながらこちらをじっと見ている景吾の顔を伺う。
じっとこちらを見つめる視線の強さはいつもと変わらないのに、表情は少し硬くて、寂しそうにも見える。
「景吾?」
どうしたの?
向かい合うように身体の位置を換え、そっと景吾の頬に手を伸ばすと、景吾はその手をとって、ゆっくり呟くように言った。
「もう契約するなよ。」
驚いた。景吾がそんな心配をしていたなんて。
景吾以外と契約することなんて、考えたこともなかった。
思いもよらない景吾の台詞に、暫く呆然としてしまう。
見上げる景吾の顔は真摯で、こんなときだというのに改めてその綺麗な顔に見惚れる。
静かに、でも確実に熱を孕んだ口調で景吾は続ける。
「お前が契約したいって言っても、俺はたぶん許せない。」
「俺と同時に契約するのも、嫌だ。
俺から離れようとするなら、このまま離してなんかやらない。」
「、お前だけだ。」
なんてことだろう。
景吾がそんなことを考えていたなんて思いもよらなかった。
景吾の熱い視線に灼かれてしまいそうだ。
まだ頭はぼうっとしているけれど、景吾の台詞を理解するにつれて、嬉しい、という感情が込み上げてくる。
ずっと一人だった私を、この優しい王様はどこまで求めてくれるのだろうか。
伸ばしていた手を景吾の背中に回し、思わず抱きつく。
即座に抱き返してくれる大きな手が愛しい。
「うん、ありがとう。」
景吾の腕に力がこもる。
頬にあたる、少し冷たい景吾の身体が気持ちいい。
この場所があるから私はここにいられるというのに。
景吾に私も何か与えられているのかしら。
今回のことで少しでも景吾が安心してくれればいいけれど。
それにね。
「大丈夫、これ以上契約する力なんてないし、私と契約したい人なんていないよ。」
にっこり笑う私。
景吾は私の髪を優しく撫でながら、ちょっと息を吐いて小声で
「これだから心配なんだよ…。」
と言ったけれど、
ねぇ、景吾、それはどういう意味?
私だって景吾だけなのに、
と言おうとしたその台詞は、重ねられた景吾の唇に吸い込まれていった。
<手を伸ばしたくなる20題> 04 つまずいた身体 完
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