風は穏やかだった。
運ばれてくる潮の香りは、どこか懐かしい。
波打ち際では繊細なレースが絶え間なく創られ、また消えていく。
ソファにゆったりと並んで腰掛ける。
他愛のない話をしながら、時々戯れのようにキスをする。
「景吾。」
「ん?」
景吾の腕に頭を預けながらそのままには呼ぶ。
景吾の手はゆっくりとの髪を撫でていて、たまにその手を下げ首筋をくすぐる。
ぴくり、とが僅かな反応をみせることを楽しんでいるようだ。
呼びかけてから暫くの間をおいて、は囁くように言った。
「海へ行きたいな。」
ぴくり。僅かな反応を見せたのは景吾の手だった。
景吾はあまり海が好きではない。
大いなる、母たる海は景吾の属するところであるが、海はそれ以外の精霊の力が強い場でもある。
凪を生む風、灼熱の砂を擁する土、陽炎を生む光と火。
つまり、いろいろなものがちょっかいを出しやすい状況にあるのだ。
そんな景吾の思いを知ってか、は強く出ることはなかったが、二人にしては珍しい形の沈黙が
の思いを代弁しているようで。
視線を下に動かし、上目遣いのと目が合う。
じっと自分を見つめる視線を隠すようにを景吾は自らの胸に引き寄せ、
承諾の形で軽く頭を撫でた。
結局は、彼女のお願いに景吾が勝てるわけはないのだ。
手を繋いでゆっくりと海岸線を歩く。
今日のの服は久々に景吾が選んだものだった。
は普段では自ら服を選ぶが、どこかへ出かけるとなると壮絶な――主に忍足と滝による――ファッション品評会が行われる。
いつもならそれを横目で見ている跡部であるが、今回はどうしても着せたい服があったため、横槍を入れたのだった。
裾がふんわりとした白いノースリーブのワンピースと、かぎ編みの優しい色合いのカーディガンは元々が持っていたもの。
それは彼女の趣味に合致するものであり、とても似合うのに、何故かそれらは箪笥の奥に丁寧にしまわれていた。
以前それらを着ない理由を尋ねたが、は曖昧に笑うだけで答えようとはしなかった。
ただ、その笑みに含まれたわずかな悲しみに気づいた跡部は、何時かそれを着せたいという思いを隠し持っていた。
これを着ていけ、と跡部が服を渡したとき、は驚いたようだったが、何か悟ったのか微笑んで承諾した。
――思い出は、新しく創りなおせばいい。
風は穏やかだった。
突然走り出す。
繋いだ手からするりと白い手が逃げていく。
何か見つけたのか、そろりと指先がまっさらな砂浜をなぞる。
しばらくそうしていて、やっと掘り出した貝殻を手にし、は景吾に向かって掲げて見せた後、
太陽にそれをかざして見る。
眩しそうに目を細める。
その彼女自体が何故かとても眩しく見えて。
もう一度この腕の中に捕らえて、強く抱きしめた。
音を立てずに握り締めた貝殻が砂の上に落ちる。
「景吾…?」
海からの強い風が彼女の白いスカートの形を変えていく。
細い髪が遊ばれるように風に舞う。
確かにこの手の中にあるのにすりぬけていくその様が。
切なくて。
憎らしくて。
愛しくて。
<手を伸ばしたくなる20題> 02 追いかけるのはいつも 完
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