それが必然であったのか偶然であったのか、わかるものはいない。
けれど、必然であったらいいと思う。
空の涯て 水の中 青の記憶 第三話
「…思い出したか。」
そう、は自らの仕える城で、その莫大な魔力を疎んじられ、殺されたのだ。
否、存在そのものを消されようとしたのだ。
何度も繰り返されるその記憶に、体が知らぬ間に戦慄いている。
そんなことはない、と思いたいが、これは紛れもない現実なのだ。
残酷な現実を思い出したのか、小さく震え、言葉を失うを青年はしばし心配そうに見つめ、
そっと手を伸ばして抱きしめた。
するりと回される青年の腕は、先ほど触れられたものと同じく、心地よかった。
ここにきて、初めて何かに守られているような気がした。
それを感じ、ゆっくりと俯いていた顔を上げたは、近くにあった青年と初めて目を合わせた。
とても、綺麗なアイスブルーの瞳だ。
冷たさを感じるようなその色に、は確かに暖かさを発見した。
「…。」
青年は目を合わせたまま、そっと散らばったの髪を梳く。
その優しい仕草に若干頬を赤らめるだったが、おかげで思考は随分とはっきりしてきた。
抱きしめられる中で改めてあたりを見回し、思考を整理した彼女の目には、
いつもの聡明な光が戻っていた。
それでも確信が得られず、やや戸惑いながら、口を開く。
戸惑う中には触れそうな唇の距離も含まれていたが。
「ここは、私の住む世界ではないのですね。」
「そうだ。」
迷いもなく青年はそう断言し、もう一度の髪を撫でてから立ち上がる。
「ここはどちらかというとお前の住んでいた世界より精霊界に近い。」
青年が指を鳴らすと、東屋は消えうせ、ベットだったものが椅子へと変わる。
「すべての現象は俺達の意思で創られ、そして消える。それがこの場所だ。」
二人がけの椅子に座るの横に青年は腰を下ろし、再び目を合わせた。
あわせたの目には、既に戸惑いもなく、いつもの知的な光が戻っていた。
今の青年の答えで賢明な彼女は一つの確信に至っていたからだ。
「そして、あなたは人間ではない。」
「そう、精霊だ。」
やはり。
確信を持ったは、恐る恐るではあるが一拍の間をおいて青年に尋ねた。
そしてそれは驚きをもって返されることになる。
「あなたの名前を、伺ってもいい?」
「ケイゴ・アトベ」
「アトベ…!?」
「どうやら人間達にも俺の名は伝わっているらしいな。」
若干、跡部は苦笑したようだった。
人間界でも勿論精霊会の研究は伝わっている。
魔術研究が進んでいるこの時代、それと同じくして精霊の研究も進んでいたのだ。
王立で研究を進めるの国にとって、精霊の研究は魔術と同じく先鋭的なものだった。
王立魔術師団に属するは親しい精霊使いから精霊界を統べる
4本柱とでも言うべき王の存在を知っていた。
そして、その名も。
の記憶が間違うということは少ないから、きっと、いや確かに、
目の前に居る青年は、人間界に滅多に姿を現さない「アトベ」、
つまり「水の王」なのだろう。
そうすれば青年の苦笑の意味も納得がいく。
彼ら、精霊にとっては名を知られることが自らの存在にとってとても大切な事だからだ。
人間にとって精霊の名は、精霊を縛りつけ、服従させる有効な「武器」である。
だからこそ、思う。
精霊が自ら名を名乗ることは少ない。
何故目の前の青年------跡部は自分に素直に名を名乗ったのだろうか。
彼らが名を名乗るのは力を行使するために交渉に入ったときと--------
「俺と契約しろ。」
更なる言葉には文字通り絶句した。
そう、精霊が名を名乗るのはが住む世界で力を行使する時と、
精霊使いたる人物と精霊が、現世でのより強力な力を行使するために
繋がりを持つことを証明する、契約に入るとき。
その二つのみだった。
その後者を、水の王たるものが自分に求めている。
傾国の知識と頭脳と謳われたの思考も、この事実の前では止まらざるをえなかった。
暫し絶句し、間が持たれる。
固まるの肩をしっかりと掴みながら、跡部は言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。
「もうわかっているだろう、お前には時間がない。
今お前の存在は並外れた魔力で無理やり世界にお前の存在自体を結び付けている。」
それは、も薄々感付いていたことだった。
の住む世界で存在を消される魔法を受けたにも関わらず何故自分が今、ここに存在しているのか。
それはどんな方法かはわからないが、原因が自分の莫大なる魔力であろうこと、それしか想像が付かなかったのだ。
まだ精霊使いが精霊界に足を踏み入れたことのない一方通行の道半ばに、精霊使いでもない自分が存在しているのだ。
その疑問が解消されたとはいえ、には更なる疑問が提示された。
精霊使いでもない自分と、精霊の王が契約?
同胞に裏切られた末の芝居にしては出来すぎているし、何より目の前の跡部の言うことは
裏切られ続けたの心の中にもすんなりと入ってきた。
自分でも、不思議なほどに。
それでも混乱するの口から出たのは、さも当たり前の台詞であった。
「でも、何故私と契約を…?」
「お前が気に入ったからさ。」
そしてこの世界に居る以上、精霊使いではない彼女とて契約は出来るのだと跡部は告げた。
畳み込むように跡部は続ける。
しっかりと、と目を合わせて。
「俺と契約しろ。
何にかえても俺が守ってやる。」
「何にかえても…」
「そう、何にかえてもだ。」
誰も、言ってくれなかった言葉だった。
一人で生きてきた、裏切られても裏切られても自らの力のみで生きてきたには、
誰も、そんなことは言ってくれなかった。
それを、会ったばかりの目の前の精霊が与えてくれた。
ただ、単純に嬉しかった。
この空間で、跡部と一緒にいたいと思っていた自分に、初めて気が付いた。
の瞳が少し光を持ったことを確認し、跡部はもう一度を強く抱きしめ、
はっきりと、迷いなく告げた。最後は囁くように。
「人間ならこういうべきか。
俺を信じろ。
愛しているんだ。」
全身全霊を持って伝えてくれる跡部の瞳に、唐突に懐かしい既視感を覚えて。
の決意は固まった。
跡部の腕の中で、はゆっくりと頷いたのであった。
「ここが…。」
「そう、世界の中心とも言うべきか。
あらゆる魔力、力の根源だ。」
目の前に聳え立つのは光り輝く大樹のようなものだった。
それが実際に木であるのではなく、魔力の塊であることは魔術師であるには容易に知れた。
大樹のようなものは、天高く聳え、その先端は見えない。
葉のように見えるものはその一つ一つが魔力の塊であり、
気まぐれにぼんやりと浮かんでいたり、大樹に合流したりと様々だ。
一言で言えば幻想的な風景であるが、あまりのその大きさに、
ただただは圧倒されるばかりである。
徐に跡部がの手を引き、大樹の幹と思われる部分に近づき、形の良い指で指し示す。
「ここに、俺の名とお前の名前を一緒に刻む。
そうすればお前は世界の一部となり、俺と契約すると同時に存在が認められる。」
「どうやって刻むの…?」
幹とは思われるが、それが物質でなく形を持たないのは明らかだった。
は小首をかしげて跡部に尋ねる。
振り返った跡部はそんなの髪をまた撫でながら、微笑んで言った。
「呼べ、俺の名前を。」
名前…。
一拍の間をおいて、が答える。
「…跡部さん?」
「違う。」
ゆっくり振りかぶって否定する跡部は、気にした風でもなく、
しかし、しっかりと先を促していることが分かった。
つないだ手の、指先が絡み合う。
しっかりと、離れないように手を握って。
目を閉じて、囁くようには言った。
「…景吾」
「…」
跡部の声を聞いたとほぼ同時に、は唇には暖かな感触があった。
そして。
目を閉じていても分かる、まばゆい光が目の前の大樹と言うべき存在から発せられた。
降り注ぐ光の洪水の中で。
もし、本当にもし、跡部の言葉が嘘だったとしても。
この人に裏切られて死ぬのなら。
それも、悪くない。
ただ一つ、後悔があるとすれば。
景吾の曇りのない瞳を思い浮かべ、は先ほど感じた既視感の正体を思い描いていた。
これを、景吾に伝えたいな。
そう、思った。
やがての意識はゆっくりと失われた。
続
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